憲法の成り立ちを論じない「憲法学者」という不思議――佐伯啓思(京都大学名誉教授)

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 安保狂躁の火付け役となったのは、3人の憲法学者が国会で安保法案は違憲であると表明したことだった。だが、冷静に振り返ってみるべきであろう。憲法学者が国政を揺さぶる、果たしてそれは正常なことなのだろうか、と――。京都大学名誉教授の佐伯啓思氏が、憲法学者のあり方に疑義を呈する。

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憲法学者が国政を揺さぶる、果たしてそれは正常なことなのだろうか、と――

 憲法を一軒の家に喩(たと)えて考えてみると、日本の憲法学者の多くは「日本国憲法という家」に住みながら、「この家は素晴らしい。ゆえに、間取りも含めて一切変えるべきではない」と主張し続け、疑おうとすらしていないことになります。

 しかし、70年近く前に建てられた家が完璧であるわけがありません。よその家と見比べて、「うちは間取りがおかしい」「この部屋は使い勝手が悪い」と、改築や建て替えを検討するのは当たり前のことと言えるでしょう。

 にも拘(かかわ)らず、多くの憲法学者、つまり護憲派と言われている人たちは、どういうわけか「今の形のままの家」に住み続けることを当然の前提とし、それに固執している。

 他国の憲法との比較を徹底し、議論を尽くした上で憲法を守るべきと唱えるならば、まだ分かります。ところが、護憲派憲法学者たちは、そうした俯瞰的な議論をすることなく、何はさておき現行憲法を守ることに立脚しているわけです。「今、住んでいる家」は微塵(みじん)も造りを変えてはならない、なぜならば、まさに今、住んでいるのだから――という理屈をとるのであれば、自衛隊も合憲とすべきでしょう。自衛隊法にも60年の歴史があり、私たちは「その家」に住み続けてきたのですからね。

 ところが、朝日新聞が7月11日付のデジタル版に掲載した、憲法学者ら209人を対象に行ったアンケートでは(注・回答したのは122人)、半数以上が自衛隊は憲法違反、もしくはその可能性があると答えている。矛盾しています。

 そもそも、憲法の条文解釈の研究は、憲法学者の仕事の一部に過ぎません。憲法の成り立ちや歴史的背景、すなわち「家の造り」を検証することも彼らの重要な仕事であるはずなのに、多くの憲法学者はそれには目を向けようとしない。

 しかも、日本の憲法学の中心的な流れは、東大の権威だった宮澤俊義名誉教授と、彼の後継者と言われた芦部信喜名誉教授(注・いずれも故人)が築いた解釈体系を軸にしてきました。この考え方を所与としてそこから出発すれば、時代や情勢の変化を鑑(かんが)みることもなく、辻棲合わせの解釈になっていくでしょう。それだけでは憲法学者がいる意味はどこにあるのでしょうか。

 ところが一方で、彼らは憲法の解釈をするだけに留まらず、違憲だから安保法案は廃案にすべきだなどと政治的影響力を行使しようとする。

 これでは憲法学者が、憲法を楯にとって政治的活動をやっていることになります。憲法を対象とすべき憲法学者が憲法に飲み込まれてしまっているように見えるのです。

【特集】「狂躁『安保法制』の後遺症」より

佐伯啓思(京都大学名誉教授)

週刊新潮 2015年10月1日号掲載

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