解体寸前に権力を手にしたナチス/『独裁者は30日で生まれた ヒトラー政権誕生の真相』

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 一九三三年一月一日、ドイツの有力紙フランクフルト新聞は新年の社説で「民主的国家に対するナチ党の強烈な攻撃は撃退された」と書いた。前年七月の選挙で二百三十議席を獲得し第一党となったナチ党だったが、十一月の選挙では二百万票を減らしていた。二回の選挙で党の資金は枯渇し、有力幹部の造反と突撃隊の反乱が相次ぎナチ党は解体の危機に瀕していた。が、一月三十日、ヒトラーは首相の座につく。一体なにが起こったのか?

 アメリカの歴史学者による本書(原著は一九九六年刊行)は、厳密な資料調査に基づき、物語形式でこの三十日間を辿る。主に焦点が当てられるのは、前年、八十四歳で大統領に再選された貴族出身の元帥ヒンデンブルク、彼の側近シュライヒャー将軍、大統領に取り入る陰謀家パーペンの三人。ヒトラーを「伍長」と蔑み嫌っていた大統領は、彼の首相就任をかたくなに拒み、先ずパーペンを首相に任命。議会の基盤が弱かった彼が立ち往生すると、シュライヒャー将軍が首相にかわる。一方、首相の座を追われたパーペンは復讐に燃え、ヒトラーと手を組み政権奪取の陰謀を巡らせた。シュライヒャーにしろパーペンにしろ、「ナチ馴致」が可能だとヒトラーを過小評価し、自らの野望と保身に利用しようとした。老大統領は最終的には息子と側近のすすめで、心ならずもついに二度まで拒否したヒトラーを首相に任命する。そう、独裁者は「選挙」で選ばれたのではなく、ドイツの運命を左右したほんの一握りのエリートたちの「政治的盲目と失策」によって権力を手渡されたのだ。著者は、この三十日間から汲むべき教訓は「近代国家に対する支配権が付与される人物を選択する場合には、細心の注意が必要」であることだと指摘する。我が国の副総理はかつて、「ヒトラーは選挙で選ばれたんですよ」といかにも物知りのごとく語った。誤った“歴史認識”を改めるに憚ることはない。本書の精読をお奨めする。

[評者]山村杳樹(ライター)

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