満州国を滅した「東大話法」/『満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦』

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「女装男子」なる方々がおられるらしい。本書の帯には、薄化粧の著者が不敵な笑みをたたえて、顔を出している。「女装の東大教授」としてスカートをはいて講義する安冨歩センセイの、これは業績ど真ん中の本である。

「なぜだれも止められなかったのか?」という帯のコピーは、薄化粧の顔写真に向けられたものではない。爆走する満鉄「あじあ」号の写真へ向けられている。近代日本の夢と希望の大地「満洲」、そこでの壮大な国家的「暴走」への学問上の問いかけである。政治、軍事、外交からのアプローチでなく、主に経済、金融、自然環境から「満洲」の成立と崩壊が解き明かされる。キワモノではない学問の魅力が伝わってくるのだ。

 本書は安冨センセイの共編著『「満洲」の成立』(名古屋大学出版会)の研究成果を圧縮し、今日的問題意識の下に再構成し、満洲開拓団を出した長野県の泰阜(やすおか)村での講演をもとにしている。むさくるしいチェ・ゲバラ風の髭面(学術論文集)をかなぐり捨てて、さっぱりと「自分の本来の姿」になった薄化粧の著者の幸福感溢れる語りに変貌している(もっとも、もとの論文集は積ん読なので、私のいうことはあてになりませんが)。

「どこまでも続く地平線、果てしなく広がる大豆畑」――我々が共有する赤い夕陽の満洲イメージがまず冒頭であっさり訂正される。清朝を建国した満洲族のふるさとだったため、開発が禁じられ、満洲は緑に覆われた「動植物のユートピア」だった。それが日露戦争の頃を境に激変し、森林は伐採され、動物はいなくなり、一面の大豆畑になっていく。生態の変化は、「ポジティブ・フィードバック」という名の破壊力となって相互促進作用を発揮する。

「満洲」という空間の成立要素を著者は列挙する。鉄道建設、馬車の活躍、県城経済、大豆の国際貿易、中国本土からの大量の移民、日露の帝国主義的投資、強力な張作霖政権等々。それらが絡み合い、自己増殖的に増大し、雪だるま式に膨れ上がってゆく。満洲事変から始まる満洲国成立、支那事変、日米戦争、そして敗戦と棄民と投下資本の喪失。その短期間の「暴走」を分析し、近代史の貴重な教訓をいまに活かそうという熱気に溢れている。たとえば満洲の森林を食いつぶした満洲大豆の擡頭は、場所を替え、アマゾンの熱帯雨林の消失にとつながっている、といった風に。

 満洲大豆の輸送は日本の国策会社・満鉄(安冨は「設立の当初は、鉄道会社のフリをした植民地経営機関だった」と言っている)を「高い利益率(=搾取率)を誇る超優良(=悪徳)企業」に押し上げた。それなのに満洲国ができると関東軍が発言力を増し、重工業部門などを切り離され、不採算路線敷設という重荷を背負わされた。「ですから、満鉄にとってみれば満洲事変など起きない方がよかったのです」。

 関東軍の成功に幻惑された陸軍は、北支への進出を仕掛け、支那事変へと進む。満洲の「成功体験」からして、支那の支配はちょろいと楽観視したのだ。ところが、県城経済の満洲と定期市ネットワーク経済の北支では支配構造がまったく違っていた。鉄道と県城を確保すれば容易に支配が可能になった満洲の単純なコミュニケーション・パターンは北支では通用しなかった。分散的・階層的な社会だったため、日本軍は点と線しか押さえられなかった。陸軍中枢が「実学」をもっと重んじれば、「ある程度のところで講和できたかもしれず、国が滅ぶということはなかったかもしれません」。「同じようなことを現代社会でも考えないといけないのです」。

 個々の軍人や官僚(いまならビジネスマンも)が優秀で命がけで必死に働くと、「不思議なことに、トンチンカンなことばかりが起き始めます」。その結果の「暴走」を引き起こすものは何か。それを安冨は「いまもなお続く日本の宿痾」である「立場主義」と名づける。江戸時代までの家制度の「家」に代わり、「立場」が近代日本を生み出したと。

「立場」を敏感に感じとり、さかんに作品の中で使ったのは夏目漱石ではないか、と安冨は睨んでいる。『明暗』には、ポジション、ポリシー、スタンスという概念を滲ませて「立場」という語が頻出するというのだ。「家」とは違う抑圧の正体を、漱石は「立場」と見抜いた。だから、漱石の作品はいまだにサラリーマンの胸を打ち続けているのではないか。

 この「立場」の信奉者たちの言語を安冨は「東大話法」と名づけ、批判している。「自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する」「自分の立場に都合のよいように相手の話を解釈する」。日本を動かす東大出身エリートの悪しき行動様式は、満洲国を破滅へ追いやったものと同質だというのだ。
 安冨は東大教授だが、出身は京大。京大大学院に入る前に、住友銀行でバブル真っ盛りの狂気の時代を頑張り抜いた。「自分の本来の姿」を見失って「暴走」した優秀な銀行員としての「悲鳴」が、学問と女装を生んでいるのだった。

 満洲暴走のその時に書かれた本がたまたま文庫本で復刻された。白樺派の作家・長與善郎(ながよよしろう)が支那事変の翌年、昭和十三年に出した『少年満洲読本』(徳間文庫カレッジ)である。夏休みの満洲旅行の体裁を借りた満洲案内記である。日本の「分家」満洲国の発展する姿と危うさが、行間から伝わってくる。本書と併読するのにちょうどよかった。満洲大豆については、「二十年に余る満鉄試験所の努力苦心の結果」とあった。

[評者]平山周吉(雑文家)

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