山本夏彦『夏彦の写真コラム』傑作選 「ゼネコンはやっぱり土建屋」(1992年4月)

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 すでに鬼籍に入ってしまったが、達人の「精神」は今も週刊新潮の中に脈々と息づいている。山本夏彦氏の『夏彦の写真コラム』。幾星霜を経てなお色あせない厳選「傑作コラム集」。

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 ゼネコンとは何かと聞かれても誰も知らない。十人に一人知るかどうか。

 鹿島建設、清水建設、竹中工務店、大成建設などの大工務店がゼネコン(general contractor)だと言えば、なあんだそれなら知っていると言うが、それは大企業として知っているので、何をする会社かは知らない。土建屋かなと思っても失礼かもしれないと口をつぐむ。

 当らずといえども遠くないのである。清水建設は戦前は清水組といって、明治時代は大工の大棟梁次いで請負師だった。鹿島建設は鹿島組、西松建設は西松組、なかにはいまだに間(はざま)組、銭高組を名乗っているものもある。何しろ「組」である、その体質は色濃く残っている。

 世の変遷に従って請負師は木造からコンクリートに転じ次第に大きくなったが、途方もなく大きくなったのはやはり高度成長以来である。日本中ビルだらけにした。高速道路だらけにした。地あげしてさら地にしなければビルは建たない。地あげするのは別の零細会社だから、ゼネコンには表向き責任がない。恥じない。ばかりか京都も金沢もビル化するのが近代だと思っている。

 昼は何万何千の人を呑吐(どんと)する巨大なビルも夜は人っ子ひとりいない。人が住まない三十階五十階の建物は化物屋敷である。ゼネコンは都民を片道二時間の都外に追放して、日本中を化物屋敷にした。

 ビルばかりではない。ゼネコンは橋梁、ダム、港湾、飛行場まで手がけるに至った。土建の仕事の情報は政治家から出る。政治家はそのプロジェクトをコネあるゼネコンにまかせる。百億の仕事なら一億から五億の礼をするのが相場だと聞く。

 いま政治献金の半ばは土建関係がまかなっているという。ただし閣僚はそれを「私」するわけではない。右から左に乾分(こぶん)に渡さなければ派閥の親分ではいられぬ(田中角栄を思え。好評だった)。県も市も公民館や美術館をしきりに建てている。その情報も閣僚の口から出る。そういう構造になっている。それを知りながらマスコミは書かない。

 以上は金の話で、私が言いたいのはそれより文化の話である。トンネル、ダム以下をつくった功を知らないではない。私はこのゼネコンが日本を変貌させたことのほうを言いたいのである。前回私はゼネコンが日本中を「戸越銀座」にしたと言った。昭和の初め東京府荏原郡戸越町が町の盛り場を戸越銀座と名づけたら、我も我もと銀座を名乗る町が輩出した。本物とくらべればいずれも安物である。ビルも同じ、金のかかったビルとかからぬビルはひと目で分る。どこを旅しても東京のにせものを見るなら、旅した甲斐がないと私はしないのである。

 ゼネコンはビルを建てても緑を植えない。ビルの回りには一木(ぼく)一草ない。亭々たる大樹を植えよ、アヴェニューをつくれと何度も私は書いたが誰も耳をかさない。それでいて近ごろ「緑」がないと大騒ぎである。

 言いたくない言葉だが、ゼネコンには思想がない、哲学がない。やっぱり「組」である。それがこの日本の街のすべてをつくり今もつくりつつあるのである。そして建築雑誌はもとより大マスコミにも批評がないのである。

「鬼籍に入った達人『山口瞳』『山本夏彦』 三千世界を袈裟切りにした『傑作コラム集』」より

週刊新潮 2015年8月6日通巻3000号記念特大号掲載

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