自民党の失言はやっぱり多かった! 昭和の失言・迷言ベストテン

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 政治が転換点を迎えるとき、その理由として、与野党の対立や政権運営の行きづまりなどが挙げられるが、実は“導火線”に火をつけるのは、失言であることが多い。ひとつの失言では政権がひっくり返らなくても、いくつか重なることで、人心が少しずつ離反していくのだ。

 政治家自身、そんなことは百も承知だろうが、本音と建前を使い分ける人間という生き物は、胸のうちをつい漏らしてしまうものだ。平成になってからは麻生太郎氏の“失言率”が抜きんでているが、昭和においては中曽根康弘氏、渡辺美智雄氏が突出していた。

 むろん政治家だけではない。高名な財界人からテレビ司会者、スポーツ選手まで、ある人は確信的に失言を繰り返し、ある人は取り返しのつかない失言の後に青ざめた。それは昭和をリードした人たちの、いかにも人間らしい記録である。

■昭和の失言・名言ベストテン

1位 「中小企業の5人や10人の倒産、自殺はやむをえない」池田勇人
(昭和27年11月27日 衆院本会議)

 第3次吉田茂改造内閣の蔵相だった池田勇人は、米価引き上げをめぐって与野党が対立する中、「貧乏人は麦を食え」と発言。猛反発を食らったが辞任しなかった。だが、第4次吉田内閣の通産相として、社会党の加藤勘十から中小企業の倒産について問われ、こう強弁。さすがに辞任に追い込まれた。

2位 「無礼なことを言うな! バカヤロー!!」吉田茂
(昭和28年2月28日 衆院予算委員会)

 特別国会の衆院予算委員会で、杜会党右派の西村栄一から国際情勢についての認識を問われると、吉田首相は何が気に障ったのか、突然、こう言い放った。吉田は発言を取り消したものの野党は受け入れず、内閣不信任案が可決されてしまう。吉田はただちに衆院の解散に打って出た。

3位 「もっともっと、たくさんの拍手を、ミソラ……」生方恵一
(昭和59年12月31日 紅白歌合戦)

 引退を公言していた都はるみが紅白の最後で「好きになった人」を歌い終えた直後、司会を務めていたNHKアナウンサー、生方恵一氏は「ミソラ……」と言い間違え、首を振りながら絶句して固まった。なんとか「ミヤコさんにお送りしたいところですが」とつないだが、翌年7月、大阪へ飛ばされた。

4位「東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い」佐治敬三
(昭和63年2月28日 JNN報道特集)

 首都機能移転問題を扱った番組で、サントリー社長だった佐治氏が仙台遷都案を揶揄して発言。

5位「共産党バンザイ!」前田武彦
(昭和48年6月 『夜のヒットスタジオ』)

 人気司会者だった前田は応援する共産党候補が当選すると番組中に万歳。テレビ界から干された。

■ヒロポンは学生時代によく飲んだ

6位「黒人とかプエルトリコ人とかメキシカンとか、そういうのが相当おって」中曽根康弘
(昭和61年9月22日 自民党全国研修会)

 日本は知的社会なのに対してアメリカは、とこう発言。「(知的水準は)まだ非常に低い」と結んだ。

7位「向こうは黒人だとかいっぱいいて、アッケラカンのカーだ」渡辺美智雄
(昭和63年7月23日 自民党のセミナー)

「日本は破産というと重大に考えて一家心中となるが」に続き、向こう(米国)をこう評した。

8位「ベンチがアホやから野球ができん」江本孟紀
(昭和56年8月26日 甲子園球場)

 ヤクルト戦で降板させられた際に発言。阪神球団から10日間の謹慎を言い渡され、引退を決意した。

9位「ヒロポンは学生時代に試験の前によく飲んだ。気持ちいいし、能率が上がる」世耕政隆
(昭和57年9月2日 『あまから問答』)

 世耕弘成内閣官房副長官の伯父で当時、よりによって自治省・国家公安委員長を務めていた。

10位「少年隊、『仮面ライダー』です!」加山雄三
(昭和61年12月31日 紅白歌合戦)

 白組キャプテンの加山が、トップバッターの少年隊『仮面舞踏会』を紹介する際に言い間違えた。

※昭和20年以降が対象

 当ランキングは「週刊新潮 3000号記念別冊『黄金の昭和』探訪」の特集「ヒット曲から失言まで 昭和を彩ったなんでもベストテン」より抜粋。同記事では一世を風靡したヒット曲、テレビドラマ、ベストセラー、ヒット映画、自動車、失言・迷言など、昭和という時代の色合いを映し出す数々のモノやコトをベストテン形式にて振り返っている。

週刊新潮 3000号記念別冊「黄金の昭和」探訪掲載

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