今だから明かせる「ど根性ガエル」作者の「失踪ドン底」

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 43年前のアニメ世代をも唸らせた、実写版『ど根性ガエル』(日本テレビ系)の“ピョン吉”の声と動き。

「満島ひかりさんの声には驚きました。アニメ版の千々松幸子さんによく似ているし、CGの動きもいい。ドラマ化に当たって、ピョン吉のイメージは崩さないで、というのが唯一の注文だったので、大満足です」

 とは原作者であるマンガ家の吉沢やすみ氏(65)だ。

「ど根性ガエル」は1970年に週刊少年ジャンプで連載がスタートした。

「ちょうど二十歳のとき。山梨の高校を出てすぐに、貝塚ひろし先生のアシスタントとして住み込みで働いた2年後でした」

 ほとんど実社会を知らずにプロデビューした格好だ。

「6年半、連載は続きました。その間にアニメ(72年~)もスタートし、ひたすらピョン吉を描いた。運がいいと言われましたよ」

 アニメ化により年収は4000万~5000万円に増え、24歳で都内に自宅と仕事場のマンションを購入。だが、「ど根性ガエル」以降の吉沢作品を知っている人はほとんどいないだろう。

「いろいろ描いてはいるんですよ。やってみましたが、あれ以上のものが描けない。もう描くのが嫌になった」

 1982年、吉沢氏は池袋のデパート屋上にいた。

「気がついたら自殺しようとしていました。女房や子供のことも忘れて、逃げることしか考えられなかった」

 自殺は何とか思い止まったが、そのまま失綜。

「ポケットに入っていた3万円で麻雀をやろうと、雀荘に入り浸りの3カ月……」

 自宅には戻ったが、業界からは総スカン。警備員のアルバイトで食い繋いだが、

「その頃になって税務署から1000万円の追徴課税。いい加減な税理士に任せきりでした。仕事場のマンションも売ってかき集めた」

 万事休す……。

「そこへ93年のドラマ『ひとつ屋根の下』で江口洋介さんがピョン吉Tシャツを着てくれた。おかげでグッズが売れ出したんです」

 マンガ家にも戻れたが、

「描けない。締め切りを守れず、仕事がなくなった」

 そこに現れたのが、胃腸薬「ソルマック」のCMに起用されたピョン吉だ。

「ピョン吉は親孝行です」

 現在は、息子夫婦と同居し、小学2年生の孫とドラマを楽しんでいるという。

週刊新潮 2015年8月6日通巻3000号記念特大号掲載

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