「北方謙三」があなたの人生の疑問を一刀両断

エンタメ 文芸・マンガ

  • ブックマーク

Advertisement

 「週刊新潮」連載エッセイ「十字路が見える」の単行本化を記念して、7月8日に神楽坂「la kagu」で行われた著者・北方謙三氏のトークライブ。門外不出の執筆秘話が明かされた後、来場者らの人生相談が始まった。さて、「ソープへ行け!」、かの伝説の名文句は飛び出すのか。

 ***

司会:質問のコーナーに入ります。が、その前に写真をご覧下さい。エッセイにも出てくる、居合のお写真です。

北方:よく斬れてるでしょう(場内笑)。

司会:北方さんのご希望で、事前に質問内容はお知らせしておりません。まさしく即興で一刀両断していただきます。

 では最初の質問です。

〈就職して3年、そろそろ自分のバーがほしいと思っています。北方さんにとっての“いいバー”の条件を教えてください〉

北方:自分が「いいバーだ」と思ったところが一番いいんです。「このお酒おいしいな」と思ったお酒が一番おいしいんです。いろんなものがあるけど、何を選択するかというよりも、何に出会うかなんです。いいものに出会ってください。

 私は、独りで行くときに決めていることが一つある。独りで飲んでる女性が必ずいるような店に行く。まあそんなところです(場内笑)。

司会:次の質問です。〈どうしようもなく情けない失恋をしたとき、北方さんはどのような方法で復活されましたか?〉

北方:本当に失恋したかどうかってよくわからんですよ。恋愛してたかどうかっていうのもよくわからない。僕はね、「あの子、愛してたな、愛してたな」と思っていた瞬間が30歳ぐらいまであったんだけど、今になってみると名前もよく思い出せない。つまり、恋愛というのはいつも現在進行形。過去もなければ未来もない。恋愛は今ですよ。今恋愛してればいいし、恋愛してなかったらしてないでいいし、そのうち恋愛するでしょう。失恋とか、成就とか、そんなこと考えると、その瞬間に恋愛は終わってます。

司会:次は短くて〈心の傷からリカバーするには?〉。よろしければ、詳細をお聞かせいただけますか?

北方:やめなさいよ、心の傷でしょう(場内笑)。

 それはね、傷口に塩を塗りつけて、あと胡椒を塗りつけて擦りまくって擦りまくって、痛みを痛みと感じないようにするしかないです。感覚なんてね、主観的なものなんです。痛いと思ったら痛い、痛くないと思ったら痛くない。だから、心の傷だと思ったものが、実は傷じゃなかったりすることなんてしょっちゅうなんですよ。時間が経ってみると不思議。「あのときなんでこんなに傷ついたんだろう」と思うぐらい、傷が何だったかも忘れているよ。人間は生きてるんだから、生身なんだから、何か触ると傷つくんです。当たり前なんです。傷ついたら生きていると思いましょう。

■目標は一生達成できない

司会〈私は今年26歳になります。30歳までに達成したい目標があるのですが、それをなせないまま20代半ばを過ぎてしまいました。最近では焦りと不安を感じています。北方さんは20代後半の頃、どんなことを考えていらっしゃいましたか。30歳になることへの不安はありましたか〉

北方:うーん、要するに30までに達成したいこと、これ、たぶん具体的なことなんでしょう。だけども、それは30までに達成できなくてもいいんです。そんなものが達成できるわけないんです、実は。人間が生きてるっていうのは、いつも見えない幻を追っているようなもの、逃げ水を追っているようなもの。昔、雑誌で「試みの地平線」っていうタイトルの人生相談やっていたけど、あれは、地平線に向かって歩けってことなんです。どこまで行っても地平線は地平線なんだ。行き着くことはないんだよ。それが人間が生きてるってことなんだと思うんですね。

 だから、30までに達成しようと思っていることについては大したことじゃないと思う。達成できるかできないかの問題ではなくて、達成するためにどれだけ頑張ったかの問題でしょう? 目標っていうのはいつもそうです。達成した瞬間に目標じゃなくなる。それが本当の目標です。だから、達成できなくていい。ちゃんといろんなものをやりたくてやろうとする人は、一生達成できないと思うね。

 だけど、欲望だけで動いているとすぐ達成できるかもしれない。1億円ほしいなと思うと、1億円すぐ達成するかもしれない。要するに人間の思いっていうのは、見果てぬ夢なんですよ。際限がない。どこまで行っても見果てぬ夢。だから見果てぬ夢を持った人生のほうが豊かですよ。1億円貯めるよりね。いい?

司会:年代が変わるんですが、〈60歳を超えて、生きることへの渇望が薄くなった気がします。家族に迷惑を掛けないよう、あんまり長生きしたくない。でも、それは北方さんの描く男の死にざまとかけ離れていると感じて落ち込んでしまいます。この現代日本での男らしい死にざまとはどんなものでしょうか〉

北方:ちょっと俺、死んだわけじゃないしさ(場内笑)。死にざまがどうのって、なかなか言えないですよ。

 だけども、俺はそろそろ68になろうという歳なんだけれど、歳取ったと思います。どういうふうに思うのかというと、仕事をしているときに、例えば月に何百枚か書く、同じ枚数でも若い頃はもっと早く書けた、つまり仕事の時間が長くなってしまっている。だけど、それは当たり前よ。その代わりに若造の頃できなかったことができてる、絶対に。言葉だって若造の頃は出なかった言葉が出てると思う。で、こうやって人生論バーッと言うことだってできる。だから、60過ぎてしまってまだ生きてるっていう幸せを噛みしめるべきであってね。

■やるべきことを持て

北方:これはエッセイにも書いたけど、私は65歳で車の運転をやめました。このまま運転してしまうとそのうち誰かが傷ついてしまうと思ってね。歳取って諦めなきゃいけないことはいっぱいある。だけど諦めて獲得することだっていっぱいあると思うんだよね。今までの経験からいろんなものが出てくるだろうし、いろんな新しいものが見えてきて、新しい出会いがあるだろうし。歳は取らないことはない。歳は取っていく。歳を取ったら歳を取ったところで、なんかいろいろあるんだ。歳取るのを嘆くのはやめましよう。

 病気しちゃったら、これはしようがないんですよ。この間、船戸与一って作家が亡くなりましたけど、生前、「がんで死ぬかボケて死ぬかどっちがいいか考えるんだけれど、どっちでもいいよな、死ぬんだから」と言っていた。彼は6年ぐらい闘病してましたよ。で、我々のところに手紙くれて、「あと1年で死ぬ」って。びっくりするじゃないですか。で、死ぬのかなあと思っていると、死なない。1年経っても死なない。2年経っても死なない。3年経っても死なない。4年経っても死なない。5年経っても死なない。「あの野郎、嘘言いやがったのか」と思いながら見舞いに行くと、やはり彼は闘病はしているわけですよ。体がぎゅっと縮んできてね。それで彼はその間に何やってたか、本当に書きたい小説を完成させたんです。『満州国演義』っていうんですけどね、これは本当に素晴らしい小説ですよ。それをね、きちんと完成させるまでは生命力を失わなかった。命の力を失わなかった。それが終わったら、ふうーっと少しずつ少しずつ力が抜けるように、なんかこう炎が消えていくように、すーっとそのまま亡くなってしまった。だけども、それを書いている間は生命力を失わなかった。人間はね、何かやろうとすることを持つ、やるべきことを持てばいいんです。

 何でもいいんです。持てばいいんです。もし、持つことができないっていうならば、その船戸与一の『満州国演義』を読んで。これはね、「がんで余命1年を宣告された人が書いた小説なんだ、だけどそんなはずないだろう」っていうような小説ですから、読めばいい。それでもダメだったら、私の『水滸伝』を読めばいい。

■ダイエットは神への冒涜

司会:ここで切実なお悩みが届いています。〈私はこの20年、ずっと太っています。痩せたいんですが、どうしても酒や間食、生来の食いしん坊でダイエットが成功しません。業界では北方先生はデブ好きという噂があるので、どうか太った女の魅力を全力で説いて、私に無駄なダイエットを金輪際諦めさせてください。逆に、痩せろとおっしゃるのなら、今すぐ痩せたくなる致命的なデブ殺しの言葉をお願いします。新潮社出版部、中瀬ゆかり〉(場内笑)。

北方:あのさ……デブ専って言われてます。それはね、大沢在昌っていうのがいる。そいつはガリガリが好きなんだね。で、あいつの概念から言ったら、私が好きなのはデブなんだ。

 モデルさんとかね、私のところに来ますよ。で、こうやって体を触ってみたり裸にしてみたりするとね、もう肉もなんにもついてない。あれは服を着るための体なんです。いいですか。男はみんな、なんかちょっとポチャッとしてるほうが、特に私なんかは臍の下の肉のフェチですね。あれね、なんつうんだろう。絵を見るとよくわかると思うんだけれどね。ヴィーナスの絵とかなんとか、みんなここが膨らんでるんですよ。なぜ膨らんでいるか、子宮を守るために膨らんでいるんです。女の象徴なんです。それを忌み嫌ってね、縮めようとするなんてのはね、それは神に対する冒涜的な行為である、というふうに私は思いますね。

 デブ殺しの言葉なんてありません。だけど、ヤセ殺しの言葉もありません。人間は与えられた体型っていうのがあって、大沢みたいにガリガリのやつが好きな男もいれば、私みたいにふくよかな人が好きな人もいたでるわけです。それで「蓼(たで)食う虫も好き好き」って言葉があるんだから。蓼って食ったことありますか、皆さん。ない? あれですよ、鮎を食べるでしょう。あのとき緑色のソースみたいの付けるでしょう。あれ蓼酢、蓼で作った酢なんです。ちゃんと蓼があるんですよ。

 だから一番いいのは健康じゃないですかね。健康でいること。それが一番でしょう。デブ殺しの一声をくれなんて言ったけど……愛してあげるよ、ホントに(場内笑)。はい、次。

司会:殺されましたか? 続きまして、今日はこちらに来られないんですが、どうしても相談をしたいという方からFAXをいただきました。最後まで聞いてください。〈私の親しい友人に、歌が決してうまくない、いや、ありていにいえば音痴の人がおります。かつてはそれを自覚してか、あまり歌わなかったのですが、なぜか最近カラオケの楽しみに目覚めてしまい……〉

北方:わかったぞ!(場内笑)

司会〈……それならひとりで歌ってくれればよいのですが、必ずいっしょに歌おうと誘われるのです。おそらく本当はひとりで歌いたいのに、カラオケ好きだとバレるのが嫌なのだと思われます。友情を壊したくないのですが、以前その人とデュオをした銀座のカラオケボックスで機械を壊してしまったこともあり、今後どうすればよいのか、悩んでおります。ちなみにその友人は巨乳好きで、私は美脚好きです。先生はどちらがお好みでしょうか。港区在住、悩める59歳、文筆業〉

北方:はいはい。これはね、59歳の港区在住のガリガリ好きのね、こんなことをする作家って一人しかいないでしょう。嫌だねえ。ここでこんな奴にいたずらされるわけ? しかもあいつは30年間、俺が歌を歌うと耳元で「音痴音痴」って言い続けたわけ。で、そうやって言われると、音痴だと思うわけよ、刷り込まれて。ところがあいつがいないときに歌うと「音痴じゃない」って言われるわけね。でも、あいつはいまだに言いますよ、「音痴音痴音痴音痴」、耳元で「音痴音痴」。で、私の知っている美脚の女の子に説明してもらったの。「どういうことなんだろう」って言ったら、「ひとつぐらいなんか勝ちたいとこがあるんじゃない?」そう言ってましたね(場内拍手)。

 でもね。大沢在昌とはいい友人なんですよ。いい友人なんですがね、こんないたずらは私はしませんね。これはね、想像力がない。やっぱり59歳にして想像力が枯れてきてるな(場内笑)。

司会:今日のイベントにお越し頂くという話もあったんですが、文藝春秋さんから出た『極悪専用』のサイン会があるそうで、まさしく時間もぴったり一緒で。

北方:あっそう。あいつサイン会なんかするの。まあ誰も並んでいないと思うんですよ(場内笑)。でも心配だなあ。行列になってたらどうしよう。

司会:週刊新潮で同じくコラム「だんだん蜜味」を連載中の壇蜜さんからも質問をいただきました(グラビア写真のパネルを掲げる)。

北方:おっおっ、おっおー!

司会〈30年以上に亘り、ずっと人気作家でいらっしゃる北方さんに伺います。長い作家生活で、執筆中に筆が止まってしまったとき、どういう切り抜け方をされているのでしょうか。ちなみに私の担当編集者に聞いたところでは、北方さんは以前、執筆中に眠ってしまってふと目が覚めると2行原稿が進んでいたと。しかもその2行というのが素晴らしい2行で、完成度が高くて驚いた、と〉

北方:そういうこともあるし、一番怖かったのはね、原稿用紙に角川書店って書いてた。「書」まで。関係ないんですよ。小説書いてたからね。でもね。私は壇蜜さんには教えたくないです、ここでは。なんか個人的に教えたいな(場内笑)。個人的にならいくらでも話してあげる、というふうにお答えください。

司会:……わかりました。では最後の質問になります。

■飢えた子供の前で文学は

司会〈物語は何のためにあるのでしょうか〉というシンプルな質問です。

北方:難しすぎるだろう……。

 私がね、西アフリカのブルキナファソっていうところへ行ったときに、飢えた人たちがいっぱいいたんですよ。で、奥地に行くと死んだ人がいっぱいいるんです。お腹が膨らんだ子供が手を出してきてね、「ムッシュムッシュ」って。我々は飢餓地帯だっていうからいっぱい食料持ってった。だけどあげられないんですよ。あげたっていっぱいいるんだから。ちょっとずつあげて、その場だけでちょっといい人だと思われてね。そのあと我々いなくなったら彼らまた飢えるわけでしょう。もっと苦しい飢えだよね。そうなってくると、これはもうあげられないから、我々も飯を食うのをやめようと。水は飲まないと死んじまうから、水の中にちょっと塩入れて、それだけ飲んで。で、4日目にちゃんとしたところに着きましたが、丸3日何も食わなかった。

 そのときにね。サルトルって作家、皆さんご存知ですか? その人がノーベル賞贈られるときに辞退したんです。なんて言って辞退したかというと、「飢えた子供の前では文学は無力である」、そう言ったんですよ。それで、そのときに本当にそう思った。飢えた子供の前では文学は無力である、本当だよなあれ。俺、作家やってていいのか、と思いましたもの。作家やってちゃいけないんじゃないか、もうちょっと有益なことをやらなきゃいけないんじゃないかなとか。

 それで、ブルキナファソからコートジボアール、さらにトーゴっていう国へ行ったんですよ。トーゴは経済状態がよくてね。でも本当に落ち込んでしまってね。小説家であることが恥ずかしいことなんじゃないかと思ったくらいですね。

 それでトーゴのロメって街で、これはホテルの名前もいまだに覚えているな、オテルドゥフェブリエっていうんだけれど、これフランス語なんだけど「2月2日ホテル」。いい名前でしょう。そこにいるコンシェルジュの女の子が可愛い子なの。で、可愛くてニコッて笑うと歯が真っ白で、いつも「ヤアヤアヤア」って言ってたの。それでもやっぱり「小説家ってなんなんだろう」っていう疑問がずーっと頭の中に渦巻いているときだったから、「一緒にご飯を食べない?」とかなんとかも言えないわけ。

 で、ホテルの前にベンチがいくつか並んでるんですよ。そこに座って煙草を吸ってたの。そうしたらその女の子が出てきた。「ヤア」と言ったらその子も「ヤア」とか言って、隣のベンチに座った。で、「ふーん」と思って見てたら、通りの向かい側から白地に赤い花柄のワンピースを着た女の子がダーッと走ってきて、シャーッとその子と抱き合ってキスをした。その子と二人で座ってしゃべり始めた。で、ベラベラベラベラ最初しゃべってた。

 それからしばらくするとすっと静かになって、それから一人の声だけがずーっと聞こえてきた。ずーっと聞こえてきて「なんか変だな、口調が変だな」と思ってパッと見たら、通りの向こう側から走ってきた女の子が泣いてるんですよ、ぼろぼろぼろぼろね。真っ黒な手に真っ白なハンカチ握りしめて、それでも拭うこともしない。ぽたぽたぽたぽた服の上に涙が落ちてる。何をしてたか。ホテルの女の子がね、本を読んであげてたんです。もう一人の子は字が読めないんですね。フランス語はしゃべれるけれど、字が読めなくて。本を読んでもらってて。それ、物語なんですね。

 で、そうか、物語っていうのはこんなふうに人の心を動かすことがあるんだ。だから物語を書いててもいいんだ。飢えた子供を救うことはできないけれど、心が飢えた子供は救えるかもしれない、心が飢えた人は救えるかもしれない。創造物って皆さんそうなんです。映画がある、音楽がある、物語がある。いろんな表現物がありますよね。そういう表現物ってやっぱり私の人生の中でも「この音楽があってよかったな。あの音楽に救われたな。あの映画があってよかったな」と思った瞬間が何回もあります。「この物語があってよかった。自分はこの物語があったんで救われた」と思ってもらえるような物語を書ければいいと思います。人は、心が飢えたときに、ちゃんと癒やす方法を持っているんです。それは大事にしましょう。物語っていうのはそうやって大事にするものなんです。物語が何かって考える必要なんかないです。物語は大事なものです。映画も大事なものです。音楽だって大事なものです。みんな、いつどれだけ力を与えてくれるかわからない大事なものだろうと思います。

 そうそう、『十字路が見える』っていうエッセイ集を出したんです。多分私はもうエッセイ書かないです。このエッセイをまあ書き続けるんですけれど、それ以外のエッセイって、もう書かないと思うんです。1本頼まれてなんとかいうのはあると思うけれども、自分の人生を振り返って、エッセイを書いているっていうのは週刊新潮のエッセイだけなんですよ。で、1冊目はこれで、2冊目どうなるか、3冊目どうなるか、出してもらえるかどうかもわからないですけどね。本は出るだけで幸せです。皆さんがそれと出会ってくださると、私はもっと幸せです。

 ここで私とあなたがたが出会ったっていうのも何かの縁です。今日は私が皆さんに菌をパッと振りまいた。北方菌っていうのを。これは全員感染してるんです。潜伏期間が3日から1週間。どこで発病するか? 書店さんの前でします。

 皆さんまたお目にかかりましょう(場内拍手)。

週刊新潮 2015年7月30日号掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。