「秋篠宮ご夫妻」銀婚式「架空対談」の波紋 「紀子妃は可」の行間に滲んだ「雅子妃は不可」

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 あたかも、お身内から矢が飛んできた格好である。6月29日にご成婚25周年を迎えられた秋篠宮ご夫妻は、異例の対話形式によるご感想を発表。ともに歩まれた四半世紀を振り返り、お互いの「自己採点」までなさっていたのだが、そこで思わぬハレーションが……。

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 その文書は、前代未聞のスタイルであった。銀婚式を迎えるにあたり、秋篠宮さまと紀子妃が思い出を整理しつつ、話し言葉で感想を述べられているのだ。宮内庁担当記者が言う。

「記者会は春先からご夫妻の会見を宮内庁に申し入れてきましたが受け入れられず、質問への文書回答も不可となった。結局、『ご感想』のみが発表されることで落ち着いたのです」

 それでも、こうした形は全くの想定外だったようで、

「記者会にリリースされたのは26日の夜。A4の用紙に横書きで9枚というボリュームもさることながら、その斬新さに驚かされました。何しろ、いきなり『今年は結婚をしてから25年が経つようです』と、秋篠宮さまが紀子さまに呼び掛けられる形で始まっている。これまで出された皇室のご感想の中で、ひときわ異彩を放っていました。ご発言ごとに『文仁』『紀子』とお名前が記されており、冒頭の学生時代の『出会い』から、『結婚の日と新居』や『子どもたちのこと』、そして最後の『夫、妻、親として』まで、7章にわたって展開されていたのです」(同)

 もっとも、対談は実際には行われておらず、ご夫妻がパソコン上で構成されたというのだが、中でも目を引くのは、「子どもたちのこと」の章である。ここでは秋篠宮さまが、

〈先日、英国にいる眞子から父の日のカードが送られてきました。普段は必要最小限の連絡事項をメールでしているだけなので、妙にうれしい気分になりました。久しぶりだったからかな〉

 と振り返られ、紀子妃は以下のようにご返答される。

〈すてきですね。私も眞子より母の日に羊の親子のカードを受け取りましたときは、胸が熱くなりました〉

 さらに秋篠宮さまは、次女の佳子さまについても、こんな“素顔”を明かされていた。

〈珍しく一緒に買い物に出かけたことがありました。父親にたいしてつっけんどんな態度のことが多いのですが、意外と優しいところもあり、私が自由に選んだものについて、代わりに会計をしてくれました〉

 ところがこの後、

〈もっとも、帰りに彼女にそのまま荷物を持たせていたら注意されましたけれどね〉

 で、ここでも紀子妃は、

〈ほほえましいですね〉

 そう相槌を打たれるのであった。

「留学中の眞子さまの優しさや、お父様に似て“導火線が短い”と自認されている佳子さまのお振舞いの一端が如実に表れています」

 とは、先の記者。

「ご夫妻は、もちろん悠仁さまにも言及されています。秋篠宮さまが『悠仁もしばしば折り紙などの作品を届けてくれます』『最近は、絵も上手になってきました』と述べられると、紀子さまも『私たちの手許には、子どもたちの小さいときからの作品がいくつもあります。どれも大事な宝物』と応じられているのです」

 仲睦まじさが、文面から匂い立ってくるのだ。

■「ダブル受賞」と「満点以上」

 もう一つ、驚きをもって受け止められた箇所がある。結びの「夫、妻、親として」の章で、ご夫妻はこれまでの結婚生活を自己採点なさっているのだ。まず秋篠宮さまが、

〈さて、ときどき夫もしくは親としてどのように認識されているのか気になることがあります。あなたも同様でしょう。最後に評価でもしてみませんか〉

 持ちかけられた紀子妃も、

〈面白そうですね〉

 そう意欲を示され、これに秋篠宮さまは、

〈あなたと子どもたちから私の評価を聞くことは、今までの自分の行いを考えると少し怖い気もするので、今回はあくまで自己点検・評価でいきましょう〉

 そして、ご自身を「優・良・可・不可」のカテゴリーに当てはめられ、

〈漠然としたメルクマールからすると、私の場合には限りなくボーダーラインに近い「可」といったところでしょうか〉

 紀子妃も続き、

〈私も仲良く「可」にいたします。いろいろな可能性を秘めている「可」ということでいかがでしょうか〉

 と、上手におまとめに。今後はさらなる高評価を「努力目標」としていくことで一致なさり、ご感想文は結ばれている。

 が、その自己採点は、まるで予期せぬ波紋を呼んでしまった。ご成婚以来、一途に皇后さまをお手本とし、お二人の内親王を健やかに育てられ、その上お世継ぎまで誕生させるという“実績”を以てしてもなお、自らを「可」と評された紀子妃。これにより、比較の対象とされることの少なくない東宮家とのコントラストが否応なく浮き彫りになってしまうというのだ。さる宮内庁関係者が危惧する。

「御輿入りされて以降、これほどまで皇室に“過剰適応”なさり、ご公務は言うに及ばず、お世継ぎという最大のお役目まで果たされた紀子妃殿下が『可』であるならば、雅子妃殿下のお立場などありません。もとより異なる家同士、単純に比較するわけには参りませんが、ご成婚から22年。うちご病気での療養生活は11年余になります。こうした点を踏まえると、ご夫妻がことさら自らを厳しく評した今回の対談の行間から、『雅子妃殿下の22年間は不可』といったニュアンスを汲み取る方がいても不思議でないのではないでしょうか。むろんご夫妻にそのおつもりがなくても、皇室の周辺でかように受け取った方がいたことは事実です」

 思い出されるのは、かつて今上天皇が皇太子だった1984年、やはり銀婚式を迎えられた際にご夫妻で臨まれた会見である。

 皇室ジャーナリストの山下晋司氏が言う。

「記者から『お互いに点数をつければ何点くらいでしょうか』と尋ねられた陛下は『点をつけるのは難しいが、まあ努力賞というか』と仰り、皇后陛下も『私もお点ではなく、差し上げるとしたら感謝状を』と応じられました。このやりとりは当時、大きな話題になったものです。さらに両陛下は、09年のご成婚50周年の際にも会見され、今度はお互いに『感謝状を贈りたい』とのお気持ちを表されていましたね」

 こうした「相互採点」の伝統は、皇太子さまのご成婚10周年の際にも窺えた。

「03年の6月、皇太子ご夫妻は文書で回答を寄せられ、殿下は妃殿下を『いろいろとありがとう。と言いたい』『努力賞と感謝状ならぬ感謝賞のダブル受賞ではないかと思います』と労(ねぎら)われました。妃殿下もまた『(殿下は)満点以上でいらっしゃることは確か』と、大いに讃えられていたのです」(同)

 これに比して「可」という今回の辛口評。先述した3例と異なり自己採点である点、また秋篠宮ご夫妻が皇室でのご身位を勘案なさったであろう事情を措いても、なお衝撃を禁じ得ないのだ。

■過去にも「あてつけ」が

 秋篠宮家の事情に詳しい、さる関係者が明かす。

「今回の対話形式によるご感想は、そもそも殿下のアイデア。これを知らされた妃殿下も大いに乗り気で、例を見ないご感想文が公表されたわけですが、“架空対談”と言ってもご夫妻は各自のパートを熟考されています。時には同じ画面を覗き込まれ、またお忙しい時にはわずかな空き時間を利用し、メモリーに入れたデータをそれぞれのお部屋に持ち込まれ、個別に作業なさってきた。つまりは“完全合作”なのです」

 お互いの厳しい採点も、

「ひとえにご謙遜のお気持ちの表れでしょう。何より、両陛下の銀婚式の時の“採点”を踏襲し、さらに努力を続けていくという、紀子妃殿下の強いご意思が拝察されます」

 とはいえ、何事も過剰は禁物。ご謙遜のあまり、より大きな問題を呼び起こしてしまった感は否めない。

「秋篠宮殿下は、一昨年のお誕生日会見で『(子どもが)20代でも私たちは40代でいられるというのは良かった』と述べられ、その前年には『私は余り子どもの学校のことをふだん聞くことはない』と仰った。長らくお子さまに恵まれず、また授業参観などで愛子内親王をたえず気にかけてこられた東宮ご夫妻への、いわばあてつけと見られかねないご発言でした。今回も、そうした延長線上にあると捉えられても致し方ないのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)

 折しも雅子妃は、2年2カ月ぶりとなる海外公務で、皇太子さまとともにトンガにご出発。皇室ジャーナリストの神田秀一氏も、

「紀子さまがお子さまを3人育てられ、多くの公務をこなされている中での『可』という評価は、84年の両陛下と同じく、ご自身のお気持ちをひたすら抑えていらっしゃるのが明らかです。自ら『150点の出来です』などとは仰れませんし、そこには嗜(たしな)みを感じます」

 その一方で、

「トンガから戻られた雅子さまが、この先どうなるかは誰にも見通せません。先回りした予測など無意味で、結果がすべてなのです」

 銀婚式まで3年。果たして、評価を“合格圏内”に滑り込ませられるだろうか。

週刊新潮 2015年7月9日号 掲載

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