百田尚樹「私を『言論弾圧』男に仕立てあげた大マスコミに告ぐ」

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「沖縄の2つの新聞社はつぶさなあかん」。百田尚樹氏が発言した言葉が大問題になっている。だが待ってほしい。政治家も恐れるマスコミが、一人の作家の言葉尻に噛みついて「言論弾圧を受けた」とはおかしくないか。渦中の百田氏が発言の真意を明らかにする。

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 6月25日、私は自民党本部で若手議員有志三十数名が参加した勉強会「文化芸術懇話会」に講師として招かれた。約30分の講演を終えたあと、出席した自民党の議員たちと質疑応答を行なったが、その席上で飛び出したのが、「沖縄の2つの新聞社はつぶさなあかん」という言葉だ。

 その言葉がどういう流れで飛び出したのかを述べる前に、まず当日の状況を説明しよう。

「懇話会」はまったく私的な集まりで、公的なものではない。当日は何社も報道陣が来ていたが、会の冒頭だけ報道陣を部屋に入れ、その後は退出してもらい、取材はシャットアウトするというものだった。私は主催者に、「それでも部屋の外から話を聞くのではないですか」と訊ねた。すると彼はこう答えた。

「冒頭の話だけは聞いて書いていただいてもいいとは言っています。でも、退出したあとは取材はなしということを伝えていますから、それを書くのはルール違反になります」

 彼はさらに、「懇話会が終わってから、再び報道陣を入れて、どういう話をしたのかをブリーフィングします」と言った。それを聞いて安心した。

 実際、会が始まって私が冒頭の挨拶をすると、報道陣からいっせいに写真を撮られ、ビデオ撮影もされた。

 約2分後、報道陣は部屋から退出し、私は講演を始めた。講演の主な内容は「集団的自衛権とは何か」というものだった。その中で、マスコミや新聞社や沖縄のことは一言も話していない。

 ところが、講演を始めてしばらくすると、ドアのすりガラスに耳がいくつもへばりついているのが見えた。どうやら廊下にいる記者が部屋の中の会話を聞こうとして、ガラスに耳だけをくっつけているのだ。私はそのシュールな図に、思わず笑いそうになった。

 どうでもいいことだが、私の声は大きい。おそらくガラスに耳をつけている記者には、声が聞こえるだろうなと思ったが、部屋の中の話は「取材お断り」という紳士協定がなされていると聞いていたので、別に気にはならなかった。

 講演の後は質疑応答である。

 もっとも質疑応答とはいえ堅苦しいものではなく、しばらくすると皆が口々に発言し、半ば雑談のような形になった。問題の言葉はこのときに飛び出した。

■さんざん悪口を書かれた

 ある議員が、沖縄のメディアを牛耳る「沖縄タイムス」と「琉球新報」に対して批判的な意見を述べて、私に感想を求めた。私は2つの新聞社にはさんざん悪口を書かれてきた事実を笑いながら述べた後に、次のように言った。以下、その時のセリフを正確に書く。

「沖縄の2つの新聞社は本当はつぶさなあかんのですけれども」

 このあたりの口調のニュアンスを活字で表現するのは難しいが、落語家が笑いを取るときによくやる「――ですけれども」という、語尾を柔らかくぼかす口調で語ったものだ。

 朝日新聞を初めとするいくつかの新聞には、「絶対につぶさなあかん」と発言したと書かれたが、私は「絶対に」なんて言葉は使っていないし、断言もしていない。あくまで冗談とわかるように、語尾にニュアンスを持たせて言っている。

 その証拠に、会場にはどっと笑いが起き、話題はそこで終わった。というか、そもそも沖縄の2紙に関しては議論など一切なかった。私は「沖縄タイムス」と「琉球新報」の2紙には、批判を受けてきたし、個人的にも嫌いな新聞ではあるが、本気でつぶす気はないし、そもそもそんな力などどこにもない。

 ところが、私のセリフは多くの新聞社に、語尾の「けれども」を省かれ、強い断言口調で言ったものとして紹介された。そして「百田尚樹は言論弾圧を目論む男」という論調の記事を書かれた。

 もともと取材お断りの内輪の席での発言を盗み聞きして、それを紙面に載せるだけでもひどいのに、その場にいた誰が聞いてもわかる冗談を「暴言」に仕立てて記事にする。あまりにやり方が汚いのではないか。

 もし私がラジオやテレビで、不特定多数の人に向けて発言したなら、たとえ軽口であったとしても非難されるのはしかたがない。あるいは活字媒体で書いても同じである。

 まして私は議員でもなんでもない民間人である。一私人が私的な集まりで、しかもクローズドな場において、雑談のような質疑応答の中で口にした一言を「言論弾圧を目論む言葉」として弾劾するのはどうなんだろう。それともそれがマスコミの正義なのか。

 実は質疑応答が始まってすぐに、ある議員が私に次のような内容の質問をした。

「偏向報道する新聞社に広告を出すスポンサーに圧力をかけて、新聞社をこらしめるというやり方はどうでしょう?」

 さらにもう1人の議員がそれに同調して似たようなことを私に質問した。

 私はその質問には絶句した。

 私も言論人のはしくれである。言論に対して、公権力や金や暴力で圧力をかけるということはあってはならないことだと思っている。そんなことをするのはファシスト政権か共産主義国家である。だから2人の議員の発想は、私にはありえないものだった。

 それで、この話題を続けるのは危険だと思った私は、2人の質問を無視することで賛同しない意思表示をして、話題を変えた。

 沖縄の2紙以外にもつぶれてほしいと思っている新聞社はあるが、私の「つぶさなあかん」という言葉の真意は、多くの読者が「ひどい内容が書かれた新聞だ、もう読むのをやめよう」と思って自然に消えてしまうということにある。決して、それ以外の「力」を使ってつぶすものではない。

 もちろん、作家「百田尚樹」も多くの読者が「つまらん、もう読むのをやめよう」と思ったときに、自然に消えてなくなる。新聞社や出版社や言論人の盛衰というのはそういうものであると思っている。

週刊新潮 2015年7月9日号掲載

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