新聞・テレビが少年法と対決していた時代/徳岡孝夫(評論家) 少年犯罪の「実名・写真報道」私の考え

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 実は実名報道でいえば、古くは新聞も行なったことがあります。1958年に起こった小松川事件です。8月17日、東京都立小松川高校に通う女子高校生が行方不明になったのですが、3日後、“私が殺害した”という電話が読売新聞にかけられた。翌日、小松川署に学校の屋上に死体があるという電話が入りました。犯人は、遺族や警察に女子高生の遺品を郵送するなど、捜査関係者を弄ぶような行動を続けたのです。新聞などの反響を楽しむかのように、さらに読売新聞に電話をかけるなど挑発的行為を1週間ほど続けた。最終的には9月1日に犯人は逮捕されましたが、18歳の少年だったのです。

 この時、ほとんどの新聞は実名報道をしています。それで少年法とのかかわりが議論されましたが、この少年は以前にも殺人を犯していたことが後にわかった。あまりに残酷だということで、新聞が実名を報じたのです。そうした時代もあった。

 しかし、その際、犯人が在日朝鮮人であったこと、貧困や差別問題があったことなどが、実名報道と少年法の議論だったものを複雑化させてしまったのです。実名報道に対して、差別問題が絡んで批判された新聞社は腰が引けたようになってしまった。

 それ以降、少年による凶悪犯罪に関して実名を載せるかどうか、という問題は各新聞社でもたびたび議論され続けていたのです。担当デスクはかなり苦しんできた。そうした重い課題にもかかわらず、最近は前例に従って載せない、という感じになってしまいました。

 新聞各社は少年の実名報道だけでなく、表現方法にも色々な基準を設けています。例えば、強姦という言葉は使わず、暴行と表現しています。ですから、殴った上で強姦した場合、暴行の上の暴行と書いたことがありました。読者は何のことなのか少しもわからない。こうしたもどかしさを抱えている現状があります。

 とはいえ、目下少年法がある以上は、私は週刊新潮の実名報道を全面的に支持するわけにはいかない。ただ、売らんがために実名報道をやるのは反対だ、という短絡的な割り切り方で批判はしたくない。

 97年の神戸市須磨の児童連続殺傷事件(酒鬼薔薇事件)の時、顔写真と実名を出した週刊新潮とFOCUSはものすごい批判を浴びた。新聞記者が雑誌を置いてある書店に行って、名刺を出し、メモを取りながら“どうして売っているんですか”と質問した。取材慣れしていない書店の店主や店員はうろたえます。何かものすごく悪いことをしているような錯覚に陥って、店頭から雑誌を撤去する書店が多かった。こういう新聞記者の態度は、言論弾圧になる。言論の自由を自ら手放してしまう行為だということを理解して欲しい。リベラルな考えの持ち主は、良心的な考えができるのは自分たちだけであり、その他の行動や思想はダメで良識がない、という考え方に凝り固まっている。

 同じような凶悪な少年犯罪が起きるたび、この議論は続くのだろうかと思います。その一方で、酒鬼薔薇事件から18年経ち、今回の実名報道に対する批判が大人しいように思われます。

 ということは、あと10年ほど経ったら、こうした議論が起こることなく、それぞれのメディアの立場が明確になり、お互いに批判するような状況ではなくなるのかもしれませんね。

「特集 少年犯罪の『実名・写真報道』私の考え」より

週刊新潮 2015年3月19日号掲載

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