日弁連「抗議」が説得力を失ってしまった/若狭勝(元東京地検特捜部副部長) 少年犯罪の「実名・写真報道」私の考え

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 少年法の61条には、実名や容ぼうを報じてはならないと現に定められています。だから、私は国会議員としても法律家の立場としても、決して週刊新潮の側には立てない。

 しかし、これまでと違い、少年事件の報道については国民の意識が変わっているのも事実です。以前は、少年の実名報道はまさにタブーだった。ところが、最近は「賛否両論」に変わり、国民の間で議論が分かれてしまっている。

 これは、少年犯罪に対する意識変化が起きていることを示しています。公職選挙法の投票年齢を引き下げる法案が提出され、合わせて少年法の「少年」を18歳まで引き下げる意見も出ている。世の中の価値観が大きく変わろうとしているわけです。

 その意味で、週刊新潮が実名と顔写真の掲載に踏み切ったことは、ひとつの問題提起が行われたと思っています。少なくとも社会的意義はあったと言える。

 ご承知のように、少年犯罪は大きく2つに分けられます。一つは今回の事件のように社会を震憾させるほど凶悪なケース。成長過程で起きがちなものとはまったく異質の、人間性に対する冒涜のような事件です。これについては、未成年の18歳であろうと対応が厳しくなることは間違いありません。これからは、成人としての刑罰も実名報道も、当然の事としてあるでしょう。

 一方で、盗みなどの“更生が見込める”ケースは、少年法61条の精神を生かし、これまで通り、実名報道するべきではない。

 問題なのは、その境目をどう判断するか、です。たとえば、人を死なせるような犯罪でも、ボコボコに殴っているうちに死なせてしまった「傷害致死」はどうなのか。偶発的であっても度が過ぎていたと判断せざるを得ないものもある。そのメリハリの付け方が難しい。正直に言えば、個々の事件が起きるたび、メディアが判断していくしかないと思っています。そうやって判断を積み重ねていくことで、実名報道の在り方も定まっていくのだと思う。

 これに対して、少年法の遵守を叫んできた日弁連はどうするのでしょうか。

 彼らは今回も週刊新潮に遺憾の意を表して、抗議しています。しかし、今は社会の「安全安心」という価値観がより求められる時代です。また、被害者や遺族は「保護される対象」として扱われるべきですが、現実には被害者の氏名や顔写真ばかり報じられている。「安全安心」と「被害者の保護」が、社会共通の価値観としてある以上、相変わらず“すべての少年に改善・更生が見込まれる”と主張してばかりでは、国民は説得できない。そのことに、そろそろ気が付くべきです。

「特集 少年犯罪の『実名・写真報道』私の考え」より

週刊新潮 2015年3月19日号掲載

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