「酒鬼薔薇聖斗」事件から18年! 「少年A」の手記出版を企図した「幻冬舎」への風当たり

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 あの忌まわしい“記憶”が、あらぬ形で甦りかねない――。1997年に世間を震憾させた、神戸連続児童殺傷事件。惨劇からまもなく18年が経とうという中、「酒鬼薔薇聖斗」を名乗っていた“元少年”の手記を出版せんと画策する向きがあるというのだ。

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 一連の事件は、97年2~5月に発生。神戸市須磨区で小学生が相次いで襲われ、2人が死亡、3人が重軽傷を負った。同年6月下旬、通称「タンク山」で土師(はせ)淳君(享年11)を殺害した容疑で、区内の中学3年生だった14歳少年が逮捕され、全貌が明らかになっていく。

 同年10月、医療少年院に収容された彼は、一時、中等少年院に移り、2004年3月に仮退院。以降、まるで都市伝説のように、全国で“生息情報”が乱れ飛んできたのだった。

 さる司法関係者によれば、

「出所後は、法務省OBの人間を中心におよそ10人の支援チームが結成され、彼の生活を支えてきました。現在でもサポート役がそばにおり、被害者の命日には毎年手紙を送っていますが、直接対面しての謝罪は、いまだ果たせていません」

 そんな折、耳を疑うような話が舞い込んできた。この“元少年”が近々、手記を上梓する予定だというのだ。さる事情通によれば、

「版元は幻冬舎です。1年以上前から人づてに元少年と接触し、すでに聞き取り取材を終えている。名前や写真は載せないものの、事件を懺悔する内容の手記という形で、原稿も出来上がっているのです」

 幻冬舎は93年、角川書店を退社した見城徹社長が設立。98年には郷ひろみの告白本『ダディ』が大当たりし、03年に株式を店頭登録。その後、経営陣による自社買収(MBO)を実施するなど、何かと話題には事欠かない。

 今回の手記は初め春先の刊行を見込んでいたと言い、

「11年1月には、英国人女性殺害犯・市橋達也の“逃亡記”を出版して物議を醸しましたが、今回はさらなるハレーションが生じるのは明白。それもあって、企画は慎重かつ極秘に進められています。一方で、少年院時代から書き溜めてきた小説や詩なども入手しており、これらの“作品”を出す案も浮上しています」(同)

■「いけないの?」

 が、肝心の遺族はまるで蚊帳の外である。実際に、淳君の父・守さんは、

「本を出すとは、全く聞いておりません」

 と、驚きを隠さない。

「そもそも、商業ベースでやることではないでしょう。5月の淳の命日には毎年コメントを出させて貰っていますが、まずは彼(元少年)が、自分の言葉で私たち家族に対して返事をしてくれればいいこと。その内容を人に見せないのは、当然の礼儀だと思います」

 現在でも命日が近づくと、元少年からは弁護士を介して手紙が届くのだが、

「内容を読む限り、彼の理解が、私たちの望んでいるような答えを出せるレベルに至っているかと言えば、まだ暫くは難しいと思います。小説や詩にしても、“メディアに出るようなことはして欲しくない”と、早い時期から要望してきたのですが……」

 そうした不信感は、おのずと版元にも向けられ、

「出版の話が本当であれば、あまりにも被害者や遺族を蔑ろにしているとしか言いようがありません。遺族に伝えることがまずなすべきことで、この話が嘘であってほしいと願っています」

 当の幻冬舎は、

「出版の予定はなく、元少年やその関係者に接触したこともありません」(総務局)

 それでも見城社長に問うと、

「万万が一、予定があるとして、出したらいけないの? 彼は残虐な殺人を犯したけれど、法に従って少年院に入って、反省して出てきているわけでしょう。新たに犯罪を犯してもいないのに手記がダメなら、何のための法律ですか」

 そう畳み掛けつつ、含みを持たせるのだ。

「僕は、あの市橋の手記で懲りたんだ。まだ裁判が始まる前で、たまたま被害者が海外の人だったから何も言ってこなかったけれど、やっぱり公判前はまずかった。僕は、本を出すたび、“果たして出してよかったのか”と反芻しているんだよ」

 とはいえ確信犯には違いなく、つまりは、あくまで算盤ずくというわけだ。

「遺族だ、被害者だって言うけれど、屁理屈だよ。元少年は毎年遺族に手紙を書いているわけだし……。君たちだって、いちいち被害者に取材しないでしょう。大体、手記を出したところで、売れないって」

 もしや、なかったことにするおつもりか。

「ワイド特集 男の顔は履歴書 女の顔は請求書2015」より

週刊新潮 2015年1月29日号掲載

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