ロボット工学者が崇める神さまは「粘菌」?! 「イグノーベル賞」を受賞した日本人学者の実に凄い研究(2)

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 知って得するわけでもないのに懸命に調べる人がいる。一見、何の役にも立たないものを熱心に作る人もいる。周りから冷たい目を向けられてもお構いなし。本人が真面目であればあるほど、滑稽味が増す。

 そんなドンキホーテ的な研究者を称えるのが1991年に創設された「イグノーベル賞」だ。毎年10月に米ハーバード大学で授賞式が行われる同賞は、「まず人々を笑わせ、そして考えさせる研究」に与えられる。

 不本意ながら、あるいは狙ってのことかもしれないが、笑わせる研究の頂点を極めた人たちは、いったい何を考え、研究に取り組んでいるのか。授賞対象以外の研究に焦点を当て、彼らの思いに迫ってみたい。

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 東北大学教授の石黒章夫(50)は「真正粘菌にパズルを解く能力があったことを発見した」功績によって、08年、イグノーベル認知科学賞を受賞した。

 真正粘菌は、土や植え込みの中などに棲息する単細胞生物。消化器はもちろん、脳も持っていない。だが、自分の体を変形させることで移動し、迷路に置かれれば入口と出口を最短ルートで結ぶこともできる。石黒は、中垣俊之(北海道大学教授)らとともに原始的な粘菌が示す知能のからくりを調べてきた。

 石黒はロボット工学者だが、自身を「新しいタイプの生物学者」とも位置づける。

「普通の生物学者は生き物に電極を刺したり、薬品を投与して調べる。僕らは生き物の動きを観察し、その原理を数式で表現する。そして生き物の動きのからくりをロボットに組みこむ。研究で使うのは、はんだごて、コンピュータ、3Dプリンターなどですが、マインドとしては生物学者です」

 粘菌を研究していると人に言うと、「けったいだな」と怪訝な顔をされたこともある。しかし、石黒は「変化球を投げているつもりは毛頭ない。ど真ん中のストレートを投げているつもり」と胸を張る。

 石黒の目には現代のテクノロジーがいびつに見えるという。

「宇宙探査機『はやぶさ』は地球から3億キロも離れた天体にピンポイントで着地した。チェスの世界王者を打ち破るコンピュータも作られている。僕らのテクノロジーはそんな高度なことができる。それなのに、粘菌や昆虫が持っている低レベルの知能すらいまだに実現できていない」

 たしかに、今あるヒト型ロボットでも二足歩行はできる。しかし、極めて限定された環境の中でしか動けない難点を抱えている。

「僕らが生きている実世界は、階段もあるし、地面がツルツルだったりザラザラだったり、壁があったり、いろいろです。現在のヒト型ロボットをこういう環境で動かそうとすると、あらかじめ膨大なプログラムを組みこんでおかなければなりません。実際の動きもゆっくりでぎごちなく、生き物とは似ても似つかない。それは現在のロボットが、一つの巨大な司令塔によって一元的に支配される中央集権的なシステムで作られているからです。生き物のシステムは地方分権的で、自律的な部分がうまい具合に協調して動いている。だから、生き物はどんな環境でも適応できる『しなやかさ』と、一部が傷ついても全体としては問題なく動く『タフさ』をあわせ持っているのです」

 石黒が粘菌に学んで、そのからくりを組みこんだのが「アメーバロボット」。黄色い大きな風船の周りを、十数個の小さな青いモジュール(筒状のロボット)が取り囲んだ、ひまわりのような形をした群ロボットだ。各モジュールにはマイクロコンピュータや圧力センサーが仕込まれていて、風船の膨らみ方に合わせ、モジュール同士をつなぐ腕が伸び縮みする。作動し始めると、いかにもアメーバのような動きを見せる。

 失礼ながら、これを見た時には「だから何?」というのが率直な感想だった。しかし、次にヘビ型ロボットを見せられて、これはすごい可能性を秘めていそうだと思った。アメーバロボットと同じからくりをそのまま組みこんだヘビ型ロボットは、体をくねらせて前へ進む。あらかじめプログラムしておかなくても、コントローラーで前後左右を指示するだけで、地面の状況に合わせ、勝手にくねらせ方を変えて進むことができる。これなら実世界でも動き回れそうだ。レスキューロボット、惑星探査ロボット、お散歩ロボットなど、実世界で活動するロボットの基盤技術になるかもしれない。

 石黒の研究室では、粘菌やヘビの他、ミミズ、ムカデ、クモヒトデなどの動きを研究してロボットづくりに活かしている。

「人の動きのからくりを理解しようとしても、複雑すぎて消化不良を起こす。僕らは下から攻めていく。粘菌のおかげで生き物の動きの本質が見えてきた。粘菌は僕にとって神さまのような存在です」

 あらゆる生物は、粘菌のような単細胞生物から進化してきた。その意味で、粘菌をロボット進化の起点に据えるのは研究の王道なのだ。神さまとして崇めてもいい気がしてくる。

 科学ジャーナリスト 緑慎也

「特別読物 笑える『イグノーベル賞』を受賞した日本人学者の実に凄い研究」より

週刊新潮 2015年1月15日迎春増大号掲載

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