「東京三大貧民窟」出身でありながら皇族に愛された伝説の浪曲師 百回忌で再び脚光

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 かつて「貧民街」出自の芸として差別されていた芸能「浪曲」を、皇族の御前公演にまでレベルアップさせた明治期の大浪曲師・桃中軒雲右衛門の存在が、百回忌を迎えた今年、あらためて脚光を浴びている。

 浪曲師・桃中軒雲右衛門(1876~1916)は、芝新網町の出身。ここはかつて「東京三大貧民窟」の一つといわれていた。そのため雲右衛門が完成させた浪曲は、寄席や劇場に嫌われ、露天や仮設小屋のような貧相な環境でしか上演できなかった。

 しかし雲右衛門は、九州にわたって、政治結社・玄洋社の面々と知り合い、いまNHK連続テレビ小説「花子とアン」で話題の宮崎龍介の父・宮崎滔天(革命家にして浪曲師「桃中軒牛右衛門」)らの協力の下、「武士道鼓吹」精神に基づく新しい浪曲「義士伝」を完成させる。

 見事なストーリー・テリングと独特の声で、雲右衛門の浪曲は次第に人気を獲得し、ついに、有栖川宮妃殿下の御前公演、さらには、それまで歌舞伎しか上演していなかった歌舞伎座での浪曲公演を実現させ、連日、超満員を達成する。

 以後、浪曲は一般庶民娯楽の最高峰となり、昭和40年代までその人気を保つのだ。

桃中軒雲右衛門 洋装

 そんな雲右衛門の生涯を発掘したのは、芸能研究家の岡本和明さん(60)。3年を費やして、このたび『俺の喉は一声千両 天才浪曲師・桃中軒雲右衛門』という伝記読み物にまとめあげた。

 実はこの岡本さん、なんと、桃中軒雲右衛門の「曾孫」だという。

「雲右衛門は、けっこうあちこちに子供を作ってましてね、その中の一人が、私の祖母だったんです」

桃中軒雲右衛門の「曾孫」で芸能研究家の岡本和明さん

 そう言って笑う岡本さんは、さすがに直系だけに、顔つき、特に顎のあたりがそっくりだ。

「雲右衛門のことは、以前より興味があって、少しずつ調べてたんですが、なかなか形にできませんでした。というのも、彼の生涯、そして浪曲の歴史を描くとき、どうしても、その出自問題――つまり、雲右衛門が、いわゆる貧民街の出身であることに、踏み込まざるをえないからです」

 しかし三年前、ついに、この件は避けて通れないと決意し、執筆に取り組んだ。そして、浪曲が、いかにして苦難の歴史を乗り越えてきたかを、400頁近い大型伝記読み物として描ききった。

「どんなジャンルでも、最初に取り組んだパイオニアは、たいへんな苦労をするものです。特に歌舞伎座での公演は、日本芸能史に残る画期的な出来事でした。歌舞伎役者たちからの妨害も、すごかったようです。しかし雲右衛門には、すでに大衆が味方についており、彼らを信じて突き進んでいった。御前公演とともに、日本の大衆芸能が大きな転換点を迎えた瞬間でした。その原点が、貧民街にあったことを、堂々と描きたかったんです」

 実は、雲右衛門の名前は、法曹界では、知らない者はいないのだという。

「日本で初めての著作権侵害訴訟は、彼の吹き込みレコードをめぐるものでした。よって、法律の教科書に必ず出てくるんです」

 また、「桃中軒雲右衛門」なるユニークな芸名の由来についても、明かされている。

「いまでも静岡県の三島駅や沼津駅に、駅弁や立ち食いそばで『桃中軒』という老舗がありますが、ここから取られてるんです。若いころ、ここで食べた駅弁の味が忘れられなかったのでしょう。雲右衛門は、親しかった力士の名前です」

 芸名は、駅弁の名前だったのだ。

 なんともユニークな話だが、実は岡本さんの実父は、1980~90年代にテレビや本で心霊ブームを巻き起こした、超常現象研究家の中岡俊哉さん(1926~2001)。つまり浪曲師~オカルト~芸能評論が一本の血筋でつながっているわけで、まさにユニークさにかけては、血は争えない一族というわけだ。

 今年は雲右衛門の百回忌。

 菩提寺である品川の天妙国寺では、大掛かりな法要が予定されているほか、秋には、日本浪曲協会が、浅草公会堂で、追悼浪曲大会を開催する予定だという。

デイリー新潮編集部

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