〈三陸鉄道〉望月社長の決意「三年で復旧」成る 4月に全線開通へ

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 三陸鉄道は4月、東日本大震災で被災した区間の復旧工事を終えて全線復旧開業する。4月5日に南リアス線、6日に北リアス線が全線開通し、式典も行われる。

 三陸鉄道の中でも最大級の被害となったのが、北リアス線島越駅付近。このあたりは狭い入江に、三陸鉄道の高架橋(高さ13m)があり、両側はトンネルである。島越駅は青いトンガリ屋根の白亜の駅舎があった。ホームは高架上にあった。

 津波は高架橋、駅舎、ホームなど鉄道施設をすべて破壊、いや島越の集落そのものも破壊、消失させた。残ったのは、ホームへ上がる階段と駅前広場にあった宮澤賢治の詩碑だけだった。三陸鉄道の望月正彦社長と旅客サービス部長の冨手淳氏は、震災から2日後の島越駅付近で茫然と立ち尽くす。

[復旧工事(1)]駅前広場にあった宮沢賢治の詩碑が残る(中央)。

 しかし宮古へ帰った望月社長は、緊急に仕立てられた車両内の「災害対策本部」内で社員に向かって毅然と言い放つ。「落ち込んでいる暇はないぞ」「(列車を)動かせるところから動かす」。会社存続への強い意思表示。復旧まで3年という具体的期間も示す。

 まさに「企業は人なり」である。例えばもし望月社長が島越の壊滅的風景を見ながら、自身の退職金の算段をするような人だったら、現在の三陸鉄道はない。これは断言してもいい。

[復旧工事(1)]築堤上にバラストが敷かれている


[震災前]

[震災直後]NHKの朝ドラマ「あまちゃん」の震災シーンにも使用された

 その後、三陸鉄道は復旧工事を進めながら、「動かせるところから」列車を動かし、社長の宣言通り3年で全線復旧へ。

 2月初めには、島越駅付近のレールがつながり、北リアス線は3年ぶりに宮古から久慈までつながったことになる。試運転ももうすぐ始まる。3月11日には、テレビ各社が特別番組やニュースの中でこの島越駅からの中継を予定しているという。

「三年前、田老で、島越で茫然と立ち尽くした時、こういう日がやってくるなど想像もつかなかった」。冨手淳氏は、三陸鉄道復興までの激動の日々を綴った著書『線路はつながった』(新潮社刊)で語っている。

 震災5日後に運転を再開し、「復興の象徴」と言われた三陸鉄道。あれから3年、被災地全体を見ればまだまだ復興が進んでいるとは言えない中で、復旧開業を果たす。大きな被害から復旧を果たした島越駅は、他の被災地への希望をもたらす「復興の始発駅」ともいえる存在になる。

 冨手氏は『線路はつながった』を「多くの方々からいただいたご支援に、私たちはしっかりと応えていかなければならないと思っている。今年平成二十六年は、三陸鉄道にとって、大きな一歩を踏み出す年になることは間違いない」と締めくくっている。

デイリー新潮編集部

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