浅田真央が万人に愛される理由

スポーツ

  • ブックマーク

Advertisement

 浅田真央選手のショートプログラムでのまさかの演技と、フリーでの渾身の滑り。いったんは日本中が悲嘆に暮れ、そして翌日には大きな感動に包まれました。彼女が日本国民からどれほど愛されてきたスケーターなのか、その存在の大きさをあらためて知らされたソチ五輪でした。

 フィギュアスケートを20年以上取材してきたジャーナリスト田村明子さんは、新刊『銀盤の軌跡―フィギュアスケート日本ソチ五輪への道―』の中で、こんなエピソードを紹介しています。

 2011年12月、カナダのケベックシティでのこと。

 グランプリファイナルの開幕直前に、田村さんは、羽生結弦選手のお母さんと路上で出会い、ふたりで近くの寺院へ向かったそうです。「浅田選手の母・匡子さんが危篤」というニュースに接し、お祈りに出かけたのです。

 田村さんは、浅田匡子さんとは共にバレエ好きということで意気投合し、会場で顔を合わせる以外にも、年に数回、手紙のやりとりをしていたといいます。

ソチのリンクで取材中の田村明子さん。フィギュアスケートを取材して20年以上というキャリアのジャーナリストである。

 そして田村さんは、浅田選手について、こう記しています。

「常に大勢の人に囲まれ、心が安らぐ時間などほとんどなさそうに見える。それにもかかわらず、彼女が他人に対して粗野にふるまったり、少しでもうんざりしたような顔を見せたりするところを、私は一度も目にしたことがなかった。愚痴っぽいことも、言い訳めいたことも、彼女の口から語られるのを聞いた記憶がない」

 確かに今回のソチ五輪でも、到着時に空港で物凄い数の報道陣に囲まれながら、浅田選手は「危ないですよ」「ゆっくり歩きますよ」とまわりを気づかい、にこやかに対応していたと報道されていました。

 田村さんは、こう指摘します。

 他人の行動を悪意に解釈しない懐の深さは、両親によって育まれたものに違いない。
 そして彼女ほど万人に愛されているスケーターも珍しい。
 その理由は、彼女の人間性を、滑りを通して多くの人が感じているからではないだろうか。
 浅田選手のこのような人間性こそが、母・匡子さんが私たち日本人に残してくれた、最大の宝であるように思う――。

 匡子さんは、かつてこのように語ったことがあるそうです。

「フィギュアスケートは、勝った、負けたではないと思うんです。その人の生きざまをどう氷の上で見せるか。それがフィギュアスケートではないですか」

 絶望の淵から1日で這い上がった浅田真央選手の入魂の滑りを通じて、彼女の生きざまは、日本中の人々にしっかりと届いたはずです。

デイリー新潮編集部

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。