写真家のもつ「呪われた眼」/『メモワール―写真家・古屋誠一との二〇年―』

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 精神を病んだ妻がアパートから身を投げたとき、写真家である夫は遠くの地面に小さく横たわる妻の姿を写真に収めた。古屋誠一とクリスティーネ。他のだれとも似ていない夫婦のかたちに魅せられた小林は、長い時間をかけて古屋と対話を重ね、思索の結果を一冊にまとめた。
「何故、この写真を撮ったのだろうか」。小林の疑問は、読者が抱く疑問でもある。初めて言葉をかわした古屋は想像したような「おそろしく冷酷な目をした男」などではなかった。自殺した妻の写真集を繰り返し編み直す写真家、と形容すると狂気すら感じさせるが、本のなかにいるのは、自分より十八歳年下の写真家からの質問に率直に答え、母親譲りの繊細な神経を持つひとり息子が後を追うことをひそかに怖れる普通の父親である。
 小林は、ゆっくり時間をかけて古屋との距離を縮めていく。さまざまな土地に同行する。クリスティーネの実家があり古屋がいまも暮らすオーストリアのグラーツ。古屋の生まれ故郷の伊豆。クリスティーネが自殺したとき暮らしていた東ベルリン。二人の関係は、取材者と被取材者の枠組みに収まらない。小林は古屋から影響を受け、すぐれたキュレーターでもある古屋が小林の写真展を見て的確な助言をすることもあった。
「知れば知るほど、古屋に関する興味と疑問は膨らんでいった」。古屋の写真には、徐々に精神の変調をきたし、自分で髪を丸坊主にしたクリスティーネの泣き顔が写っている。古屋は病んだ妻を追いつめたのか。小林の出す答えは「結果的に追いつめた」だ。
 古屋が繰り返し妻の写真集を発表するのは完成させるごとに新たな「わからなさ」が生まれるからだが、長年、読まずにいたクリスティーネの手記を解読することで思いがけず終止符が打たれる。
 一方で「何故、撮ったか」という初めの問いに答えは出ない。古屋は「反射的っていうか」「なんだか知らないけど、撮った」としか言わず、「観る者に意味を持たれることを意図的に避けて」言葉にしないのではないか、と小林は感じる。
 妻が精神に変調をきたして自殺し、その妻を被写体とした作品を発表したことで写真家古屋は世に出た。その行為を正当化する言葉を持たないことが、写真家としての古屋の倫理なのだろう。本を読み終え、そう思った。
 九・一一のテロ、三・一一大震災。古屋の苦悩を追い続ける中で二つの事件に遭遇した小林は、スーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』を再読する。そこに引用されるプラトンの「呪われた眼よ。この美しい光景を思いきり楽しめ」という言葉を反芻しながら、長い思索のはてに、小林は自分もまた「呪われた眼」の持ち主であると気づくのだ。

[評者]佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

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